こんにちは!はじめまして五年後・十年後の未来を輝かせるカウンセラーの冲 凛子です。
主に軽度のうつ症状、、恋愛依存、先の見えない未来に不安がある、ネガティブ体質を変えたいなどとにかく自分を変えたいと悩んでいる人に向けてカウンセリングをしています。
”誰よりも「自分が嫌い」だった私 学生時代は仲間外れにならないように必死だった”
幼い頃から”おとなしい子”とよく言われていました。
人と対面して話すことが怖い…なぜかというと話したことを理解し、言葉を発するのに時間がかかる…そのためか「あの子はつまらない」「話が通じない」といった言葉を投げかけられていたからです。
そんな私が学生時代に実行していたこと…
「明るく話している人の真似をする」
身近な同級生・憧れの芸能人などその人の話し方や癖を真似することで周りに”つまらない子”と思われないように必死でした。
”嫌われてはいけない” ”仲間外れにされないようにしなくては”
そういう気持ちが頭の中を支配してどんどん”自分”が分からなくなり、自己否定する気持ちが止まらなくなっていきなんで自分はこうなんだろうとマイナスの感情がつねに渦巻いていました。
幼い頃に両親が離婚、父方に引き取られた私は母が恋しいという寂しさが募る”
物心がついたころに両親が離婚、父方に引き取られ祖父母と幼少期~成人までを過ごす。
母とは会うことはおろか連絡を取る手段もなく母を恋しく思うことが多くありました。祖父母も父も厳しかったが優しさもあり高校卒業まで何不自由なく育ててくれたことには感謝してもしきれません。
ただ私は兄妹のなかでも人一倍母を恋しく思っていて母に会えないことに寂しさを募らせていました。
”「ポジティブな人になりたい」と憧れるネガティブな私”
いつしかこう願うようになり、ネガティブ思考しかとまらない自分を変えたいと試行錯誤するが今まで生きてきて根付いた思考や癖はどうやって変えたらいいか分からずポジティブになる⇒壁にぶちあたる⇒ネガティブ思考ループといった具合に根本的な解決には至らず、ポジティブな人に憧れるネガティブな人のままでした。
”幸せな結婚をしたはずなのになぜか死を意識する自分と謎の激しい頭痛”
そんな自分を変えられないままもがいていた私ですが、職場で知り合った方とお付き合い・結婚を順調にすすめ優しい主人と幸せな生活を送っていました。
そんななかでも私には”幸せな未来”を想像することができず、自分はいつ死んでもいい・死にたい訳ではないが早く死なないかなと考える日も多く、謎の頭痛に悩まされ仕事もままならなくなり休養をとるために退職をする。
”ふとした衝動で自殺未遂を起こし、自力で帰れなくなる”
そんなある日、ちょっとした些細なことで実家の家族とぶつかり、自分の感情が”死にたい”に支配されてしまい眼鏡・財布・携帯すべて置いて海へ向かいそのまま飛び込んでしまおう・死のうと考える。
しかしその場で葛藤するも、死にきれず…冷静になったころには辺りは真っ暗で自力で戻ることができずそのまま一晩海で過ごすことになります。
”そのとき私の知らないところでは捜索願が出されていた”
私は目が悪く、眼鏡を外すと外ではまともに歩くことすらできませんでした。
そんな私が眼鏡も財布も携帯も置いたままいなくなってしまったため捜索願が出されていました。
そのためお昼になっても自力で帰ることができなくてうずくまっていた私を発見してくれたのは警察官でした。
”救急車で病院に運ばれた私が感じたことと気付かされた看護師さんの言葉”
特に外傷はなかったが自力で歩くことが難しかったため、そのまま病院で検査を受ける。
身体には問題はなく、元気が出たらそのまま帰っていいからねとお医者さんには告げられ、その場に居た看護師さんは私にこう声を掛けました。
「死にたいと思って海に向かいましたか?」「はい」「思いとどまって本当に良かったです。〇〇さん、精神的な病を治療する必要があります。紹介状を書いてもらうので適切な治療を受けましょうね」ここで私は自分がしでかしてしまったことの重大さに気づき、このままではだめだと強く感じました。
”自分を変えたい・このままではよくない…心療内科に通うも変わらない自分”
そう考えた私は心療内科に通院し始める。以前よりも謎の頭痛に悩まされることも減り、死にたいと考えることも少なくなったように感じる…主人の助けもあり、パートで働きながら日々を過ごすも何かとモヤモヤする日も多く、”死んでもいいかな”や”謎の頭痛”は減ったものの、無くなったわけではなかったのです。
”違和感の正体は自分が嫌いなままの自分”
私にはまだ夢や希望が無かった。まだ持てなかった。
そして私はまだ”自分が嫌い”なままだった。
その根本が解決できていないため”生きづらいな”をずっと抱えたままだったのです。
”次に私がしたことは風俗というお仕事”
パートの仕事も馴染めず、朝起きることも辛くなり仕事が続かない…
そして生活費や貯金のために次に選んだお仕事は”風俗”でした。
決まったシフトがあるわけでもなく自由な出勤・当日日払いは当時の私にとってすごく助かりました。
”風俗というお仕事は予想以上に過酷、だけど自分にはこれしかできない”
通常のパートよりも格段に手取りが良いため、良いことばかりではなかったです。
モノのように扱われたり、心無いことを言われたり、病気のかかってしまうリスクに怯えたりと精神を蝕まれるため病んでしまうキャストも多く、自分自身も日々体力的にも精神的にも参ってしまいましたが私に今できるお仕事は”風俗”しか無かったのです。
”ある人との出会いでお試しカウンセリング受け変われるかも!と思った”
そんな自分を変えたいと考える日々の中、友人の集まりでカウンセリングやコーチングをお仕事にされている方との出会いがありました。
ここに居合わせているかたには特別に無料で初回のお試しカウンセリングをさせていただきます!とのことでしたのでせっかくなら!と思い、受けることになりました。
”お試しカウンセリングを受けてみて本格的にカウンセリングを受ける決意をする”
約一時間から二時間程度じっくりとお話を聞いてくださいました。
”自分を変えたい”がどうしていいのか分からないことを伝えたら、〇〇さん良かったですね!僕のカウンセリングを受けたら絶対に変われます!ぜひそのお手伝いをさせてくださいと言っていただきました。そのとき私はこの人なら本当に自分を変えてくれるかも!と思い、本格的に受ける決断をしました。
”徐々に変化していく自分を日々実感することで夢や希望がもてるようになる”
最初に実行したことは日々のいいことを三つ書き出すなどの小さなことから始めていき、二週間に一回の対面で二週間の間に起こった出来事やその日に取り組むワークなどを実践していきました。過去の辛かった自分と向き合ったりする作業はとても辛いものがありましたが、向き合うことで癒して、浄化される気分になり辛かった出来事は徐々に辛くなくなりいつしか自分に夢や希望が出てくるようになりました。
”ポジティブ心理学を学び、自分の強みを発見することで具体的な夢ができる”
自分自身が大きく変われたことで、自分と同じように悩む人は多くいるはずだから自分自身もカウンセラーになりたいと思い立ち、ポジティブ心理学を学びました。
ポジティブ心理学とはマーティン・セリグマン教授が創設したもので「幸せとは何か」を科学的に研究する学問になります。
それらを学びに取り入れることで自分自身の幸せ度もあげつつカウンセラーになるための勉強に取り組み多くの人にこれを伝えていきたいと思うようになりました。
ネガティブな自分をまず受け止めることで自分自身と向き合い、ネガティブ思考のクセを徐々にポジティブ思考のクセに変換していくことで自己嫌悪に陥ることが減り、”生きづらい”から抜け出せた。
あれだけ”自分のことが嫌い”だった私は”自分のことを好き”になれました。
そして自分の強みを発見し伸ばすワークなどで、自分にどんな仕事が向いているのかを知ることができ、将来に希望を持てるようになった私はカウンセラーになりたいと強く思うようになりました。
”カウンセラーになりたい、多くの人に自分と同じように変われると伝えたい”
”自分が嫌い”から”自分が大好き・自分を愛せる”自分になり多くの人に絶対に変われるということを伝えたいと思いカウンセラーを目指し多くの人を癒してきました。
これまでに学んだことを活かして提供することで自分のようにネガティブが止まらなくて悩む人も変われる!を実感できるはずです。
これからもっと多くの人に知ってもらいたい・広めたいと思い日々活動しています。
冲 凛子